遠藤青汁グリーンライフの源流
はじめに

遠藤青汁友の会(有)は、1954年(昭和29年)に田辺弘により、岡山県倉敷市玉島に設立されました。遠藤仁郎博士(1997年逝去)の指導を受けて設立され、貝原邦夫氏(2000年逝去)の協力も得て、今日まで活動を続けてきました。
遠藤青汁グリーンライフは、この遠藤青汁友の会を基盤として設立されたもので、現在両者は合併して、遠藤青汁友の会グリーンライフとして、活動させていただいております。
この遠藤博士と貝原氏、ならびに遠藤青汁友の会時代の田辺の活動が、現在の遠藤青汁グリーンライフの源になるものです。
弊社をよりお知りいただく一助として、以下に貝原邦夫氏と田辺弘の簡単な足跡を紹介させていただきます。

遠藤博士講演会 講演会の受講者
【写真は、岡山県倉敷市・弊社本社での遠藤博士の講演会。遠藤博士(左)と貝原氏(右)】


貝原邦夫氏の足跡

貝原邦夫氏は遠藤博士と同じ倉敷に在住し、常に博士の側近にいて直接にその活動を支えました。1957年(昭和32年)より遠藤青汁普及会の全国組織である「遠藤青汁の会」(愛好者のファンクラブのようなもの)の副会長(会長は遠藤仁郎博士)を務め、会の頭脳として常に中心的存在でした。年一回倉敷で開かれた「遠藤青汁の会」の全国総会では企画運営に携わり、機関誌の編集発行も行いました。また本来の職務である学校長・県教育委員会という立場から、学校に「青汁給食」を採用しました。他にも数多くの講演や個人相談などを行い、著書等の著作物を残しています。自宅家庭農園でケールを栽培し、自ら搾りながら、博士の青汁の理念を生涯を通して実践したトップランナーと言えます。

総会で相談を受ける遠藤博士と貝原邦夫先生 総会で司会をする貝原邦夫先生
【写真は遠藤青汁の会の全国総会で個人面談(写真左)と司会をする貝原氏(写真右)。】


田辺弘の足跡

田辺弘は、1954年(昭和29年)岡山県倉敷市の玉島で、宅配のための青汁の製造方法を完成し、一般の人々に提供・普及する形態を創始しました。田辺はまた、「遠藤青汁友の会」(青汁を職業とする者の有志の集まり)の副会長を務め、青汁を職業とする中で博士の考え方を実践しました。「遠藤青汁友の会」は遠藤博士の青汁の普及会の総称であり、田辺の会社の名称にもなりました。田辺は、1961年(昭和36年)には東京にも活動を拡大し、主婦の友社を起点として普及拡大に努めました。同時に、博士の指導のもとに、生の青汁が飲めない人のために乾燥青汁製品の開発を行いました。これが現在の私ども遠藤青汁グリーンライフの乾燥青汁製品となっているものです。1962年(昭和37年)には横浜に青汁スタンドを、九段に青汁相談所を開設し、さらに普及活動を展開しました。スタンドは後に銀座に、相談所は富士見町を経て飯田橋に移転し、現在に至っています。この飯田橋の相談所が、今の私どもの東京支店になっているものです。

遠藤博士宅で博士と田辺弘一家 総会前夜祭・遠藤博士と田辺弘
【写真左は、正月の遠藤博士宅で、田辺(左)、博士(左から2人目)、博士のヒナ子夫人(右から2人目)、田辺夫人寿子(右)。写真右は、遠藤青汁の会全国総会前夜祭での遠藤博士(中)と田辺(右)、二華園印刷の西井弘人氏(左)。】



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